浪人したけど第一志望の大学に落ちた方へ伝えたい3つのこと

実はRuruも浪人して第一志望の大学に落ちました。京都大学に猛烈にいきたかった!

絶望、悲しみ、悔しさなど言葉で言い表せないほどの感情を経験しましたが、今となってはいい経験だったと言えます。何歳になるかわからないですが、京都大学まだ諦めてません(笑)

学びに年齢制限はないので、一通りやりたいことができたら京都大学もしくは京都大学院に入学したいですね!

この記事を読んでくださっている方の中には同じような第一志望に落ちる経験をして、人生どうしよう…と不安になっている方もいらっしゃるかもしれません。

私は今、大手外資ITに勤務し、幸せに暮らしております!
そんな私の経験談が皆さんの一助になることを願っています。

※この記事はPRを含みます。

浪人して京都大学を目指したが、合格できなかった私

先ほども書いた通り、私Ruruも浪人をしました。

高校が進学校で同期の約半数は浪人するような学校でしたので、現役時代は実力不足のまま受験に突っ込んでいった私にとって浪人をすることは自然な流れでした。

現役時代は記念受験で京都大学農学部を受験しました。(総合人間学部を受験したかったのですが、足切りに引っかかりそうで当時理系だった私は農学部を受験しました。)

後期は大阪大学人間科学部を受験。センターが全くもって足りてないので当たり前のように落ちました。

現役時代は浪人覚悟で私立は受けていませんでした。

浪人生活を始め、基礎が全く固まていなかった私にとって予備校の授業が新鮮でとても楽しく授業を受けて、毎日自習室に通う生活をしていました。

秋に差し掛かった頃から実力が伸びていることを実感し、センター試験も何とか他の受験生と戦える点数でした。

前期は京都大学の総合人間学部(文系)、後期はA判定の出ていた横浜国立大学の文化系の今はなくなってしまった学科(名前すら思い出せませんでした…)に出願。

京都大学は挑戦ではありましたが、試験の難易度が変わらなければ受かる自信はありました。

しかし、言い訳にはなりませんが数学が難化。結果は不合格でした。

「頭が真っ白、人生終わり、希望も何もない、、」

京都大学の結果発表後、何をしていたのか全く覚えていません。後期の横浜国立大学の試験が面接のみだったので、一度予備校で面接対策をした記憶はありましたが…

そして、身も入ってなければ、他の大学に行こうという気力もない私はA判定の横浜国立大学も見事に滑ったのです。

後に点数開示をしたら、横浜国立大学の面接試験は1割ほどしか得点がなく、そりゃA判定でも落ちるわなという状況でした。

そんなこんなで、滑り止めで合格していた関西の私立大学に通うことになりました。

関西での私立に通い始めてからも半年ぐらいもあまり記憶がないのですが、ここは別記事でじっくり書いていきたいと思います。

ここから前置きが長くなりましたが、浪人生活を経て、第一志望に合格できなかった私が、同じような境遇にあり方へ伝えたい3つの道標をご紹介できればいいなと思っております!

 【浪人失敗】「第一志望の大学へ行けない」結果は変えられない。未来をどう変えるか考える!

浪人したのに夢の京都大学にいけず、記憶がなくなるぐらいに、人生に失望してしまった私

大学入学までがむしゃらに遊んだおぼろげな記憶はあります。
家に居づらかったのもあるかもしれませんが、ずっと外で活動していました。

遊ぶだけ遊んだら、「私ってそもそも何がしたかったんだろう?」という考えが頭をよぎるようになりました。

大学は基本的には4年で卒業して巣立つ場所です。

元々、航空業界で働きたい!と思っていた私はそのことを思い出しました。過ぎ去った大学受験という変えられない結果を悔やむのではなく、未来へ向けて今何が出来るか考えるべきだ!と気付いたのです。

大学1年生の前期をかけて、徐々にやっとこさこう思えるようになったというのが実際で、大学2年終わるぐらいまでは大学受験のトラウマが頭をよぎっていました。

後ほど、お話しする入学した大学でがむしゃらに楽しむというところに通じるのですが、「バイトやインターンシップ」「語学学習や留学」「大学の研究」「サークル・ボランティア活動」何でもいいので未来のために、ありたい自分の姿のために、自分自身を高めてください!

私の予備校や高校の友人にも浪人の結果、第一志望に行けなかった子たちがたくさんいました。

私と同じように、未来志向に頭の中をチェンジできた子たちは、大学受験での経験を糧に強く逞しくそして楽しそうに暮らしています。

しかし、一方で大学受験の結果を引きずり、腐って堕落した子もたくさんいました。

疎遠になった子が多いのですが、風の噂など聞いていると留年したり等々充実とは別世界へ行ってしまった子が多いです。

【浪人失敗】第一志望の大学へ行く手段はある。どこまでこだわるかは貴方次第。

どうしても志望大学を諦められない方も中にはいるでしょう。

諦めらめられないというのも一つの解だと思います。

ネットでの情報が少なかったりしますが、大学編入(一部大学)や大学院入試で憧れの大学に行くなど、前に前進しながら、第一志望へ行く手段は実はあります。

やる気があり、家族の許しが出るならもう一年予備校に通うという方法もあるでしょう。

金銭面で厳しかったり、家族から許しがでないのであれば、仮面浪人という方法もあるでしょう。

私の周りに仮面浪人した人はいませんでしたが、大学編入で大阪大学へ入った方や医学部がどうしても諦めきれずに予備校に通いながら3浪して実際合格した友人もいます。

同じ私立大学から、大学院で憧れの神戸大学や大阪大学へ行った大学の先輩も多数います。

人それぞれ大学へ対する熱意や気持ちは異なるかと思いますが、「どこまで拘ってやるか」は皆さんにかかっています。

そして、生半可な気持ちでは再チャレンジしても結果は良くないでしょう。

「やるからにはやる!」の精神で取り組めるほどに大学へのこだわりがある方は是非挑戦してみてください!

【浪人失敗】入学した大学で1年間がむしゃらに楽しむ。

正直いうと、滑り止めの私立大学に入って、最初は本当に嫌な奴でした。

  • 周りの学生を心の中で見下す
  • 何でこんなところに自分がいるんだろうと思う
  • こんなところ本当は辞めたい…

私立大学入学後、最初の1ヶ月ぐらい、これまた記憶があまりありません。
人間は嫌な記憶を忘れる仕組みがあると聞いたことがあるので、それが上手く働いてくれていると信じています。

授業がボチボチと始まって、同じ学部の同じ学年の学生が多い科目はほんっとうに苦痛でした。
こんなボケ〜っとした内部生と一緒になぜ学ばなければならないの?っていうすごい上から目線でした。

一方、教養の科目や超少人数のフランス語の授業、学部の面白い先生の授業など「楽しい!」と思える授業や一緒に勉強を頑張れる少数精鋭の仲間もできました。

また、国際交流イベントの企画運営団体に応募して合格したり、海外への研修旅行の面接に合格したり、「この大学も捨てたもんじゃないな」という気持ちが出てきました。

そして、大学の学業では好成績を収めつつ、バイトでも必死で稼ぎつつ、学業以外での団体の取り組みも頑張っていたら、すっかり「今いる場所で精一杯頑張り、未来につなげる」ということが実践できていたのです。

大学2年生終わりぐらいまでは、時折第一志望の大学に合格した浪人仲間の話や後輩の話が風の噂に流れてきたときは、ふと落ち込んでしまう私もいました。

でも、目の前のことに全力で取り組んでいたら、すぐに忘れていましたね☺︎

当時の逆風の中でも「何とか自分を鼓舞して、今よりより良い自分になろう!」と頑張った経験は社会人となった今でも生きています。

社会人の方が理不尽なこと、自分ではどうにもならない不可抗力が多いですが、そんな辛い状況の中でも自分の芯を持って前に進む力は本当に重宝しています。

まとめ 人生山あり谷あり。谷での経験は必ず役に立つ!

ここまでお読みくださり、ありがとうございます!!

社会人になってから大学受験のことを思い出すことはめっきり少なくなりましたが、毎年3月は様々な受験関係のニュースを見ますので、自分の受験生時代を思い出します。

私は大学受験でなく就活でも結構すったもんだを繰り返し、第一志望の航空業界には辿り着けなかったのです。

それでも、学生時代は自分が働けるとは思ってもいなかった大手外資系企業で今は勤務できています。

挫折や失敗は、その時は心身ともに辛くなりますが、逃げることなく立ち向かった人にはご褒美として「生き抜く力」がもらえると信じております。

思うようにいかないことも多い人生ですが、一緒に楽しんでいきましょう!
少しでも皆様のお役に立てれば幸いです^^

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